Keiです。
今回は、
「マズローの欲求段階説」
についてなるべく分かりやすく解説したいと思います。
それでは早速、本題に入りましょう。
「マズローの欲求段階説」の概要
“欲求段階説”はアメリカの心理学者である「アブラハム・マズロー」が提唱した理論で、その名の通り人間の欲求をいくつかの段階に分けたものです。
Wikipediaではこんな風に解説されています。
欲求段階説(よっきゅうだんかいせつ、英: Maslow’s hierarchy of needs)とは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。これは、マズローの欲求段階、自己実現理論とも称される。
引用:自己実現理論
欲求段階説だったり、自己実現理論だったり、マズローの欲求段階だったり・・・。
色々使い分けてもややこしいので、この記事では便宜上「(マズローの)欲求段階説」で統一しています。
さて、欲求段階説では人間の欲求がいくつかに階層化されているわけですが、その具体的な欲求は以下の通りです。
1. 生理的欲求 2. 安全の欲求 3. 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 4. 承認(尊重)の欲求 5. 自己実現の欲求 6. 自己超越の欲求 |
なんだか小難しい言葉が並んでいるように見えますが、内容的にはそれほど難しいものではありません。
また、
「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」
というマズローさん自身の“仮定”に基づいた分類がされていますので、必ずしも全ての人間の欲求がこんな風に階層化されているわけではありません。
(その辺りの詳細は後で触れます)
割とネット上の情報では「欲求5段階説」という名前が見られる事が多いんですが、マズローさんが晩年になって「自己超越の欲求」を付け足したので、最終的には「6段階」になっています。
それでは、それぞれの欲求について具体的に見てみましょう。
ちなみに生理的欲求や社会的欲求など、あえて分けて考える事による弊害もあるとも言われますが、厳密に考え過ぎるとややこしくなってきます。
ですので、ここでは「欲求段階説」の理解に重点を置いて解説します。(一応、Wikipediaの方の説明も引用しています)
1:生理的欲求
生命を維持するための本能的な欲求で、食事・睡眠・排泄など。
極端なまでに生活のあらゆるものを失った人間は、生理的欲求が他のどの欲求よりも最も主要な動機付けとなる。
一般的な動物がこのレベルを超えることはほとんどない。
しかし、人間にとってこの欲求しか見られないほどの状況は一般的ではないため、通常の健康な人間は即座に次のレベルである安全の欲求が出現する。
生理的欲求は“本能的な欲求”という事で、人間が生きている限り当たり前に持っている欲求を意味します。
「食べたい」「寝たい」「出したい」・・・そのまんまですね。
一応これらの欲求は
・食欲
・睡眠欲
・排泄欲
と名付けられてはいますが、食欲に関しては意見が分かれる部分もあります。
例えば「食べたい」という欲求は、空腹が満たされている状態でも「自分の好きな食べ物」が目の前にあれば生じる場合がありますので、「生命を維持するための本能的な欲求」とは言い難い部分もあります。
ですので、基本的には心理学者は「食欲」ではなく「空腹(飢え)」「渇き」を生理的欲求として捉える場合が多いようです。
2:安全の欲求
安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、事故の防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求。病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットなども、これを満たす要因に含まれる。
この欲求が単純な形ではっきり見られるのは、脅威や危険に対する反応をまったく抑制しない幼児である。
一般的に健康な大人はこの反応を抑制することを教えられている上に、文化的で幸運な者はこの欲求に関して満足を得ている場合が多いので、真の意味で一般的な大人がこの安全欲求を実際の動機付けとして行動するということはあまりない。
「毎日を平和に過ごしたい」
という欲求が“安全の欲求”に当たります。
必要な最低限度の食欲や睡眠欲が満たされていない状態では、「怪我したくない」とか「もっと良い暮らしをしたい」といった事を考える余裕は無いと思います。
そんな事を考える前に、「とにかく危険でも良いから食料を確保したい」とか、「食べ物と寝る場所さえ確保できればそれで良い」と思うんじゃないでしょうか。
ですが、それらの欲求が満たされれば、次には「もっと安全・安心な暮らしがしたい」という欲求が新たに生まれてきます。
例えば、
・安定した仕事に就きたい
・もっとお金が欲しい
・丈夫な家に住みたい
といった欲求などですね。
こういったものが“安全の欲求”という事になります。
ところで解説の中には、
「真の意味で一般的な大人がこの安全欲求を実際の動機付けとして行動するということはあまりない」
とありますが、これと反して経済的な安定性を求めている人は日本には大勢いるように私は感じます。
学者の中には
「日本の場合は安全欲求が一番上になる」
と言っている人もいるようなので、その辺りで欲求段階説と現実との“ズレ”が生じていますね。
3:社会的欲求 / 所属と愛の欲求
生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。
自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚。情緒的な人間関係についてや、他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚。愛を求め、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。
不適応や重度の病理、孤独感や社会的不安、鬱状態になる原因の最たるものである。
大雑把に言えば、社会的欲求とは「社会での生活をする中で生じる欲求」を指します。
「所属と愛」ともある通り、
・集団に所属したい
・他者に愛されたい
・仲間が欲しい
・恋人が欲しい
・家族が欲しい
といった欲求ですね。
最低限の食や睡眠、身の安全などが確保されれば、その次には「社会(他者)との繋がり」を求めたくなる・・・というのがマズローさんの説です。
この欲求が満たされない事によって
「不適応や重度の病理、孤独感や社会的不安、鬱状態」
といった症状の原因になると書いてありますが、興味深いのは現代社会では集団に所属する事によって逆に孤独感を覚えるケースも多いという事です。
そういう意味では、社会的欲求は「集団に所属する」だけでは満たされず、「集団に受け入れられる」事によって初めて満たされるものなんだと思います。
4:承認(尊重)の欲求
自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。
尊重のレベルには二つある。
低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。
高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。
集団に所属し、その集団に受け入れられた後には、自分自身の“価値”を認めさせたくなります。
マズローさんはこの欲求を「低いレベル」と「高いレベル」に分けて考えていて、以下のタイプの欲求が「低いレベルの承認の欲求」になります。
・他者に対して影響力(権力など)を行使したい
・多くの人からの注目を浴びたい
・集団の中でより高い地位を獲得したい
これらは“他者承認”とも呼ばれ、その名の通り「他者から認められたい」という欲求です。
承認の欲求を車や時計、高級マンションなどで満たそうとする人もいるようですが、そういったものも「低いレベルの承認の欲求」だと考えられます。
一方「高いレベルの承認の欲求」は“自己承認”とも呼ばれ、“現在の自分”と“自分の理想像”との差異によって評価が変わってきます。
言ってしまえば、他者承認は「手段を問わず他者から認められたい」という欲求で、自己承認は「自分の価値を高める事で他者に認められたい」という欲求とも考えられるでしょう。
こうして承認の欲求を捉えれば、
「低い尊重のレベルに留まり続ける事は危険である」
という意味も理解できるのではないでしょうか。
5:自己実現の欲求
以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。
自己実現の欲求は、「自分にとっての理想の自分を現実のものにしたい」という欲求です。
凄く簡単に言えば、
「自分が本当にやりたい事をやって、それが多くの他者から認められた」
となれば、自己実現の欲求が満たされたと考えて良いと思います。
マズローさんは、自己実現者(自己実現の欲求を満たした人)には15の特徴があるとしています。
1. 現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ 2. 自己、他者、自然に対する受容 3. 自発性、素朴さ、自然さ 4. 課題中心的 5. プライバシーの欲求からの超越 6. 文化と環境からの独立、能動的人間、自律性 7. 認識が絶えず新鮮である 8. 至高なものに触れる神秘的体験がある 9. 共同社会感情 10. 対人関係において心が広くて深い 11. 民主主義的な性格構造 12. 手段と目的、善悪の判断の区別 13. 哲学的で悪意のないユーモアセンス 14. 創造性 15. 文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越 |
この特徴を覚える事自体には特に意味はありませんので、「自己実現者ってやべー」ぐらいに考えておいてください(笑)
例えば「共同社会感情」なんて、
「人類一般に対する無償の愛」
の事を意味していますから、この特徴だけでも自己実現者の存在がどれだけ希少かが想像できると思います。
ただし、必ずしも
「自己実現者=完璧人間」
というわけではなく、マズローさんによると、自己実現者がそうでない人を傷つける場合も非常に多いとの事。
そう考えると、自己実現者が「15の特徴」を満たしていないという矛盾も生じるわけですが、その点については特に説明されていません。
ですので15の特徴については、あくまでも自己実現者の「1つの目安」程度に捉えておいた方が良いでしょう。
6:自己超越の欲求
マズローさんが晩年になって付け加えた、自己実現の段階の更に上の段階が、「自己超越」です。
自己実現の欲求から更に“自己の存在”を忘れ、「自分の目的・目標の達成のみに集中して取り組む段階」だとされています。
この段階まで来ると常人には想像できませんね。
マズローさんは、自己超越者の特徴として以下を挙げています。
1. 「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている
2. 「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている
3. 統合された意識を持つ
4. 落ち着いていて、瞑想的な認知をする
5. 深い洞察を得た経験が、今までにある
6. 他者の不幸に罪悪感を抱く
7. 創造的である
8. 謙虚である
9. 聡明である
10. 多視点的な思考ができる
11. 外見は普通である
自己超越者の割合は「全人口の約2%」とマズローさんは推定しています。
一方、自己実現者の割合は欲求段階説を提唱した時点では「たかだか1%」とも言っていますので、必ずしも自己超越者が自己実現者であるとも限らないのかもしれません。
マズローの欲求段階説に対する誤解
以上でマズローの欲求段階説の概要については終わりになります。
後は補足として、この理論に対する“誤解”についても触れておきたいと思います。
「高次の欲求」と「低次の欲求」
まず1点目は、
「高次の欲求を満たす為に、低次の欲求が完全に満たされる必要は無い」
という点です。
マズローの欲求段階説においては、最も低次な欲求を「生理的欲求」、最も高次な欲求を「自己超越の欲求」としていて、多くの場合は以下のように「ピラミッド型の構造」で表現されます。
しかしながら、理論的にはこのように表現する事ができるからと言って、必ずしも高次の欲求が満たされる「前」に、低次の欲求が完全に満たされている必要はありません。
安全の欲求を満たす為に、必ずしも生理的欲求が満たされている必要はありませんし、自己超越者であっても、より低次の“安全の欲求”が満たされていない場合も考えられるという事です。
実験サンプルの問題
欲求段階説を一度知ると、「確かに人間の欲求はこういう風になっているのかもしれない」と思えるかもしれません。
しかし、マズローさんが理論を構築する上でサンプリングした人物の数は合計して60名ちょっとです。
具体的には、
・歴史上の人物など:約50名
・マズローさんが直接観察した人:9名
・不十分だが研究には使える人:5名
との事。
具体的な人物名を挙げると、以下のような感じです。
・エイブラハム・リンカーン ・トーマス・ジェファーソン ・アルベルト・アインシュタイン ・エレノア・ルーズベルト ・ジェーン・アダムズ ・ウィリアム・ジェームズ ・バールーフ・デ・スピノザ ・アルベルト・シュヴァイツァー ・ジョージ・ワシントン ・ベンジャミン・フランクリン ・ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ |
まあ、それだけマズローさんがイメージする“自己実現者”が少なかったという事なんですが、こうした人選はマズローさん自身が行っていますので、
「この理論が一般化できるものかどうか」
という点には多分に疑問が残りますし、実際に「困難だ」という批判を受けています。
確かにマーケティングなどにおいては理論が参考になる部分もあるんですが、例えば「自分自身の欲求」に当てはめようと考えると多分に“ズレ”が生じてくる可能性があります。
「欲求段階」の個人差
安全の欲求の解説の中で「日本の場合は安全欲求が一番上になる」という説に触れたように、人間の欲求段階が必ずしも“生理的欲求”から“自己超越の欲求”へと段階的に進んでいくとは限りません。
また、それぞれの欲求段階が独立しているとも限りません。
私は大抵の人は確かに生理的欲求が(場合によっては)一番低い位置に来るんじゃないかと考えていますが、それより高次の欲求に関しては微妙だと思っています。
例えば私の場合は「自己実現の欲求」は満たしたいと思っていても、「承認(尊重)の欲求」には特に興味がありません。
人によっては「安全の欲求」がほとんど満たされていなくても、「社会的欲求 / 所属と愛の欲求」を満たしたいと思っている人もいるでしょう。
というわけで1人1人の欲求を観察していけば、欲求段階説が当てはまる人もいれば、当てはまらない人もいるわけです。
人類一般の“欲求の傾向性”という見方をするなら、
「その欲求段階を満たしている人数」
という点で見れば確かにピラミッド型の構造になっているのかもしれませんが、それを個人の欲求に当てはめようとするのは微妙だという事ですね。
総括
以上、
「マズローの欲求段階説」
についての個人的な解説でした。
ちなみに、
「理論を知っている事で何か役に立つ事があるのか?」
と質問されれば、「うーん」としか言いようがありません(笑)
まあ無理矢理マーケティングに活用しようと考えるなら、それぞれの欲求段階の人口比率を確認した上で、
「高次の欲求を満たすセールスレターを書くよりも、低次の欲求を満たすセールスレターを書いた方が効率的である」
とか、そういった事は考えられるかもしれません。
しかしその辺りの具体的な欲求に関しては、“見込み客のリサーチ”をすればそれで済む話でもあります。
参考:
>アフィリエイトにおける「リサーチ」の重要性とその方法。
ともあれ1つの知識としてマズローの欲求段階説を知っておく事は悪くありませんし、
「自分はどんな欲求を持っているのか?」
を改めて見つめ直すのにも良い機会だと思います。
以上、参考にして頂ければ幸いです。